枝垂櫻の長興山から小田原駅西口へ
(荻窪用水路散策コース、からたちの花の小径)

 

 箱根入生田、長興山紹太寺の枝垂櫻(表紙写真)は櫻傑作集に収録してありますが、このページではここから荻窪用水路散策コース経由山越えで小田原駅西口へ歩く、余り知られていないが景色も良く興味尽きないハイキングコース(平成27年3月27日)をご紹介します、全行程約3時間となっていますが、櫻の写真を撮ったりするともう数十分見ておく方が良いでしょう

 春日局の元夫で、江戸時代初期の小田原藩主稲葉氏の菩提寺だった、本当の長興山紹太寺は廃寺になっていますが、登り口左の元塔頭青雲庵(黄檗普茶料理で有名、下の写真上段と下段左)が今お寺の名前を継いでいます ここを出て暫く登ると左が廃寺跡、稲葉一族の墓所へ登る苔むした石段(下段右)、右が車道と分かれます どちらも結構きついです

   
   

 階段を登りきると廃寺跡で、正面が春日局や稲葉一族の墓所ですが、現在風倒木被害で立入禁止です、墓所の階段の手前を右折すると、鉄牛和尚の壽搭があり、その右下が櫻、車道と合流します、下5枚に櫻の写真を並べます、樹齢約340年、高さ13m、株元周囲4.7mだそうです、櫻を堪能したら今度は車道を下ります(最下段の1枚)

   
   
 

 殆ど坂を下りきった、先程の分岐の少し上辺りに下の写真天辺の案内板があります、ここで左の坂道を登って、ハイキングコースに入ります、その下6枚に途中の風景を並べます、下段中央が箱根ターンパイク、秀吉の小田原攻めの一夜城跡石垣山方面です、下段右端の萬松院(徳川家康の悲劇の長男松平信康ゆかりの寺)から真っ直ぐ下りるとショートカットで風祭駅へ出ますが、お寺を横切り、右(東)側の道をもう一度登り返して、山越えで小田原を目指します

 
     
     

 急な林道を登っていくと下の写真上段左荻窪用水にぶつかります、ここで林道と分かれ、左の細い階段を登ります、コンクリの貯水槽のある小高いところを過ぎて、怖い位荒れている道なき道を下るとまた暗い林道に出ますが、それもすぐ分かれて下段左の案内板に従って右折しまた怖い道なき道へ入ります、間もなく下段右の水路沿いの道に出ますのでこれを辿ります、コースの先先を気を付けて見ていないと案内板を見落とします

   
   

 斜面を登っていくと山形水道水源地の案内板(下の写真左)があり、右手の藪の下に本当に貯水池があります、
解説によると明治の元勲山形有朋がこの山の下の箱根板橋の古稀庵という別荘を建て、そこへ水を引くために水道を建設したのだそうです、流石明治の元勲は違いますね、昭和時代には大磯の自宅まで自動車専用道路を建設させた元勲がいましたが、こちらはその後立派な幹線道路として公共インフラになっています

   

 更に上ると下2枚の写真の桜田隧道入口を過ぎます

   

 ここを過ぎて上り詰めると、バス道路へ出ます、本来のコースはバス道路を突っ切って反対側へ下るのですが、今回はからたちの花の小径経由で城山公園に出たかったので、ガードレールに貼ってある写真左の案内板に従って、暫くバス道路を歩き、サンサンヒルズ小田原、水之尾バス停を過ぎ、写真中央、右の案内板のところで、左側の山道からたちのはなの小径へ入ります

     

 暫く歩くと、左手に丹沢や曽我丘陵方面のパノラマが見えてきます、白秋が「野外劇場の観客席」と絶賛した風景です

 
 

 パノラマに別れを告げ、樹林帯に入り少し下ると、小田原城の最西端の城郭小峯御鐘ノ台で、ここにからたちの小径の石碑があります(下の写真上段左、中央)、さらに下って分岐点を左折(上段右の写真では右方向)し、城山公園に入ります
 中段左の土塁跡を回り込んで中段右の大堀を過ぎ、更に右へ回り込んで、下段右の大堀切のお案内板を背に公園を横切ります、下段中央と右が慰霊塔のある広場、ここで公園を出て小田原高校の東、城山中学の西を下って小田原駅西口です

     
   
     

 後日小田原市のネットを見たら、通行困難箇所があるので、荻窪用水散策コースの入生田コースは当面閉鎖と出ていました、道理で所々怖いところや、迷いやすいところがあったりしたのだと納得しました

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