埼玉県行田市埼玉古墳群
雄略天皇時代の金錯銘鉄剣の出土で有名になった埼玉県行田市の稲荷山古墳を含む古墳群(さきたま古墳公園)をご紹介します、先ずパンフレットと案内図、博物館外観です
下7枚が博物館内部で、中段がハイライト「自分は先祖代々大王の親衛隊で、ワカタケル(雄略天皇)を補佐して天下を治めるのに貢献し、その功によりこの剣に名を刻んだ」とある金錯銘鉄剣の実物です(このクラスの歴史遺産の現物が現地に展示されているのは貴重です)、あとは雰囲気をお感じ下さい
博物館を出たら、先ず同じ南側の古墳群を見ます。上段左が奥の山古墳、同右が鉄砲山古墳、下段左が瓦塚古墳で、同右がこの公園内にある崎玉神社が埼玉県名の由来だと記す畑和知事の碑です
公園入口へ戻り、バス通りを渡って北側、メインの古墳群を見ます。次の上段左が一番小さい愛宕山古墳、同左が最大の前方後円墳、二子山古墳、中下段が唯一内部を公開している将軍山古墳です
そして下8枚が当地の本命、金錯銘鉄剣はじめ数々の国宝を出土した前方後円墳稲荷山古墳です、最上段左が向かう途中左手に見える丸墓山古墳、同右が稲荷山古墳の前方部正面、第2段左が前方部頂上から後円部を望む、同右が振り返る将軍山古墳、第3段右が後円部頂上から振り返る前方部、同右が後円部頂上からの丸墓山古墳、最下段左が降りて丸墓山古墳へ向かう途中の稲荷山古墳後円部から、同右が丸墓山古墳北側登り口です
最後下6枚が石田三成、忍城にゆかりの丸墓山古墳の上からです、上段左が稲荷山古墳方面、同右が将軍山古墳方面、中段左右が反対西方向の忍城方面です。秀吉の小田原攻めの際石田三成が忍城を水攻めにしようと全長28kmにも及ぶ石田堤(下段右)を築き、この古墳の上に陣取って指揮していたが結局失敗、太閤が唯一落とせなかった城として名が残っています、下段左にアップ
大変貴重で興味深い遺跡公園で、良く整備もされているのに人出もまばら、タクシー運転手に聞いても通年余り人が来ないとのこと、もったいないです。バスの便が酷く不便なこともあるのでしょうが、人出がないからバスが撤退したということなので悪循環、どこか対策が下手な気がします、頑張れ行田市