八王子絹の道・鑓水道了尊まとめ

   

 すぐ前の「横浜トピックス」のページにもある通り、安政6年開港直後から横浜港の(ということは日本の)最大の輸出品目は長い間生糸でした。上信地方で生産された生糸は今は八王子市に編入されている鑓水の地に集荷され、現在のJR横浜線にほぼ沿った丘陵地帯を南下して横浜に運ばれ輸出されていました。途中の山道で追剥ぎにあったり、宿場町の女郎に騙されて有り金そっくり巻き上げられたりと、危険が多かったため、日本で鉄道が開通した比較的早い時期からここに鉄道を引いてくれとの陳情が三渓園で有名な原三渓など横浜や鑓水の豪商から明治政府に何度もなされ、その甲斐あって明治41年というこんなローカルなところにしてはえらく早い時期に横浜線が開通しました。表紙の写真左が八王子市鑓水の小高い丘(大塚山標高213m)にある鑓水道了尊跡の参道入口に建てられている「絹の道」の石柱、同右が横浜線の終点東神奈川駅構内にある横浜線誕生の解説碑です
 下6枚、先ず京王相模原線南大沢駅(上段左右)からスタートし、進行右側の都立大学の前を左(南西)に過ぎて府中相模原線=柚木街道に入り、大栗川を嫁入橋で渡って北側絹の道に入ります。中段左右はそのすぐ南にある小泉家屋敷、下段左右が絹の道に入ってすぐ右手にある絹の道資料館です。資料館を過ぎて500m位先に愈々絹の道の面影が残る山道への入口があります

   
   
   

 下6枚の上段左が絹の道の山道への入口(写真の右手に進む)、同右が案内板、下段左右が往時の面影を残す山道です

   
   

 山道をさらに500m位登ると鑓水道了尊参道入口の階段です(下6段の写真最上段左右。左が今、右が前回平成25年に来た時で、階段下の大木が2本切られてしまっているのが判ります
 第2段左が階段下の案内板、同右がそのすぐ上右手の築礎碑、下4段が階段を登り切って頂上の広場で、第3,4段の順に進み、写真の配列通り左右に石塔やお地蔵様が並んでいます。第5、6段が道了尊跡ですが、いずれも竹垣で囲ってある左が今、何もない右が前回、第5段が正面から、最下段が奥からです。30年位前我々夫婦が最初に来た頃はまだ崩れかけた建物が残っていて、毒蝮三太夫さんの献額がありました

   
   
   
   
   
   

 階段下へ戻り、正面に向かって左手の山道を行くと間もなく階段の上に出ます(下6枚上段左右、八王子方面と奥多摩の山々の眺望が開けます。中段左の151段の階段を下りて、16号バイパスを渡り片倉へ下りますが、16号を挟んでJR駅すぐ西側の片倉城跡公園に寄っていきます(中段左)、天辺に住吉神社があります(下段左右)

   
   
   

 バリエーションとして、上の写真第5段左の階段下からバイパスを渡らず北上して白山通りに出(下6枚上段左)、道なりに東、北と進み、白山神社バス停(同右)の先を右に入って階段を下り、柚木団地の中の一本道を東に進んで野猿峠(中段左)に出、 峠を右折して野猿街道を少し下り左手の鎌田鳥山入口から野猿の尾根道に登る(中段右、下段左右)というコースもお勧めです。平山城址公園か、もっと頑張るなら百草園からスタートして逆コースで南大沢へ出てもいいでしょう

   
   
   

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