ゴルバチョフ元大統領を悼む

 

 上の写真は1990年1月14日クレムリン宮殿における自民党訪ソ使節団(団長:安倍晋太郎幹事長)とゴルバチョフ書記長(当時)との史上初の会談風景(同行カメラマン撮影)です。副団長小渕恵三、事務局長山口敏夫、団員大鷹(山口)淑子、加藤六月、伊藤宗一郎他の各議員という錚々たる顔ぶれです

 2022年8月30日ゴルバチョフ元ソ連大統領が亡くなりました。1931年3月生まれの91歳でした。申すまでもなく冷戦終結という偉大な功績を残した20世紀の歴史上最大の人類に対する貢献者の一人だと思っていますが、個人的にも思い入れがあります。旧ソ連が1985年に共産党書記長に就任した同氏のもとで、ペレストロイカ、グラスチノフ路線を歩み始め、1989年11月9日のベルリンの壁崩壊後間もない同年12月2,3日のマルタ島でのブッシュ米大統領(父)とソ連のゴルバチョフ書記長との間で冷戦終結が宣言されました。
 これを受けて翌年1月日本政府は、自民党の安倍晋太郎幹事長を団長とする使節団を初めてソ連に派遣することとし、海部総理の親書を託すことで党の使節団ながら政府色が強い公式のミッションと位置付け、関係省庁からも局長乃至これに準ずるランクの随員を同行させました(写真壁際)。その一人として幸運にもこの歴史的会談に陪席を許された筆者は、熱っぽくペレストロイカを訴える同氏の真摯な熱情に心底心を打たれました。握手をする光栄にも浴し、「ゴルバチョフの右手は柔らかかった」というのが私の復命書のイントロでした

 西側諸国はこの一連の流れをユーフォリアと評されるほど熱列に歓迎、ソ連・東欧の社会経済改革の為には支援のお金もいとわないというムードで日本にも資金的にも人的にも大きな貢献が求められました。1991年4月の欧州復興開発銀行の設立もその象徴的出来事です
 残念なことにその後の旧ソ連地域での事態は必ずしも同氏の思惑通りには展開せず、1991年末には同氏失脚、ソ連の崩壊に至り、その後暫くにわたりこの地域では社会経済的混乱が続きました。世界史的観点からは偉大な功労者である同氏の葬儀が寂しいものだったということが象徴するように、かつての大ソ連の見果てぬ夢を懐かしむ手合いからは未だに批判が根強いようですが、この風潮がプーチンの侵略路線を支え、遂には今回のウクライナ侵攻につながって行ったのだと思います。あの時熱狂的に支援を訴えた西側諸国(日本も含む)としては何とも無念な裏切られた気分になるのは当然です


 もとより今回のウクライナ侵攻に関しては全く弁解の余地はありませんが、ただ、歴史を語るには徹底した史実探求と透徹した洞察力が必要です。ロシアの歴史は中東のそれと並んで日本人の最も不得意な分野でしょう、私も多少読んだ程度の浅学で語る資格はありませんが、司馬遼太郎の『ロシアについて 北方の原型』(1989年文春文庫)に幾つかのヒントがあります

 p15「ロシア人は国家を遅くもちました、・・・文化も、他の生物学的組成と同様、しばしば遺伝します。ロシア人の成立は、外からの恐怖をのぞいて考えられないといっていいでしょう」

 P25ロシアというものの原風景;「外敵を異様におそれるだけでなく、病的な外国への猜疑心、そして潜在的な征服欲・・それらすべてが(過去の)支配と被支配の文化遺伝」

 p32「ロシアは全国民の35%も異民族を抱えている。・・なにがロシア帝国をつくったのか、それはむろん無制限の独裁政治であった。無制限の独裁であったればこそ大ロシア帝国は存在したのだ」(ウィッテ伯爵回想録)

 本家のヨーロッパでも、フランスの伝記作家アンリ・トロワイヤ(1911~2007、モスクワ生まれのアルメニア系ロシア人で、1920年ロシア革命でフランスへ移住)の『アレクサンドル一世』(工藤庸子訳 中央公論社)に、ナポレオンのロシア侵攻を前にした記述で、「ロシアはつねに侵略者の欲望をそそる国だった。いにしえはハザール人、ペチュネーダ人、ポーロヴェッ人、などが侵入した。その後キプチャク汗国のタタール人がロシア全土にわたり3世紀におよぶ支配をした。さらに、ポーランド人がモスクワにまで進軍したこともあり、スウェーデンのたび重なる侵略はピョートル大帝がポルタヴァで圧勝した時にやっと終止符が打たれたのである」(p177)と書かれている

 これらを踏まえ「ロシアの歴史はせいぜい1000年余だが、その大半は有事だった。約2世紀半はタタール、その後ナポレオン、ナチス、米ソ冷戦、冷戦の敗者たるロシア、この歴史からの被害妄想が左右している。だから過剰なまでの安全保障願望があり、中でもウクライナは、ロシアからすれば東ロシア共通民族、ロシア人も沢山住んでいるから特別だ」という評価もある

 感性鈍感なアメリカがこの辺を理解出来ないのは仕方ないとしても、拙著にある様に同じ欧州だとして冷戦終結にユーフォリアに酔った大陸欧州が、この30年間ロシアをここまで追い込んだのは情けない歴史の大失敗だと思います。

 失敗は硬軟両面あるでしょうが、最大の失敗は両独統一の時の「NATOは1インチたりとも東方拡大しない」という約束(乃至思い込ませ)を裏切って、とうとう兄弟分のウクライナまでに及びそうになった、これはロシアとしては耐え難かった

 逆の面の失敗は、ナチスに対するチェンバレンのそれと似た、武力による現状変更の黙認の積み重ねがロシアを甘やかしたことでしょう。歴史にIFはありませんが、西側諸国、とりわけ大陸欧州にもう少し歴史から学ぶ叡智があれば今度の惨劇は未然に防げたであろうと、当時若干でも関わった身としては残念でなりません。その気持ちを察して頂ける様当時の事を書いた拙著『ネゴシエーション 国際会議の裏表(1995年 金融ファクシミリ新聞社)の抜粋(第6話)をPDFでご紹介します
 蛇足ですが、当時は外交的には無力でも世界に冠たるジャパンマネーを背景に世界における日本のプレゼンスは結構高かったのに今や「カネも、力も、人材も」足りなくなった様で悲しい気がします
(なんて言うのは年を取った証拠ですね)

『ネゴシエーション』第6話「ネゴシエーターのたしなみ」.pdf へのリンク

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