紅葉の名刹奥の院巡り3コース

     

 11月下旬紅葉を訪ねて、名刹の奥の院3ヶ所を巡って見ました
 表紙中央は天狗様で名高い大雄山最乗寺の奥の院(標高432m)、左右が最後の355段の石段、左が登り、右が下りです。因みに最乗寺全体で階段は705段あるそうです

 まず始めは今回のハイライト初挑戦の日向淨発願寺奥の院から梅の木尾根経由で日向山の四辻へ下り、日向薬師へと一周するコースです
 下4枚、上段左は歩き出し日向薬師バス停すぐ上、右がその上の現在の淨発願寺です
 無常山淨発願寺は慶長13年(1608)弾誓上人開山の天台宗のお寺で、4世空誉上人の時代が全盛期、「男の駆け込み寺」として知られたが、昭和13年の山津波で諸堂宇が壊滅、昭和17年に約1km下の地に再建された。それがこの写真の淨発願寺で、以後元の地は淨発願寺奥の院と称するようになった
 下段左がその奥の院入口、右が入口広場の東屋、関東大震災で流失した閻魔堂の跡だそうで立て札があります。その右手の宝篋印塔は元禄5年(1692)、尾張藩主徳川綱誠(つななり)の正室蛍珠院を弔うため建立されたがやはり関東大震災の山津波で流失したが、昭和6年に再建された。

   
   

 下8枚が奥の院を登って一番上の岩屋までいく途中の写真で、最上段左右から第2段左までが宝篋印塔の右手の参道入口までで、山門跡という立て札があります
 第2段右の様な石仏がある沢沿いの参道を登って行くと第3段左の53段の石段、これは4世空誉上人の時代に駆け込んだ53人の罪人が一人1段ずつ築いたそうです
 第3段右から最下段左右までが堂宇跡で右手に本堂跡、左手に丸木橋があって廻り込む様にして登って行きます(最下段左)
 

   
   
   
   

 下10枚が愈々奥の院最高点の岩屋から梅の木尾根を目掛けて歩く登山路です、突き当りの墓石(最上段右)の左側に日向薬師2.9kmの道標があります
 墓石の右手に第2段左右、第3段左の様な岩屋と石塔があります。ここを拝観したら、左手へ廻り込むようにして愈々山道に入りますが、間もなく左側が落ち込んだ急斜面のトラバースが続きます(第3段右)
 トラバースの終点(第4段左)に日向薬師2.4kmの道標があり、ここを鋭角で右折、写真の様な急勾配を登ります、梅の木尾根にとりつく支脈尾根です。急勾配の途中に「登山道」という案内がありました(第4段右の写真の左下の木に)
 急勾配を登って行くと段々梅の木尾根が近づき、最下段左の日向薬師2.1kmの道標のすぐ上に尾根への合流点がある様ですが、道標に従って行くとバイパスして最下段右の日向薬師1.9kmの道標です

   
   
   
   
   

 小さなアップダウンを繰り返し、ベンチのある小ピークを越えると間もなく本日の梅の木尾根のピーク537m地点です(下6枚上段左)、少し下ると左が開け、左手谷越しに全山紅葉の山が開けます(多分弁天御髪尾根;上段右と中段左)
 その後急な下りが続き、途中ロープ場があり、これを過ぎると、もう終点は近くです
 木の根道の途中に左手弁天の森キャンプ場の道標を直進(中段右)すると四辻への分岐はもうすぐです
 ここから先は本サイトに沢山載せてありますので省略、最後下段に日向薬師上の林道に出た所の紅葉を載せておきます

   
   
   

 次に、下12枚は本命の奥の院は表紙に載せた大雄山最乗寺です、最上段左が駅近くの大雄橋から矢倉岳方面、富士山がかすかに頭を見せています。右は同じ場所からのアオサギです
 第2段左が山門、ここから最乗寺本堂までまだ2km以上あります。同右と第3段左が本堂へ向かう階段です
 本堂の左手へ向い、階段道を登って第4段右、御供橋を渡り結界門を潜ると奥の院エリアです
第5段左右と最下段左が御真殿、天狗の団扇と下駄が並んでいます。同右はおまけで本堂階段下、明神岳登山口にある和合の下駄です

   
   
   
   
   
   

 最後は姿三四郎最後の決闘の場として知られる(?)峯の薬師の奥の院です、小松城址から城山湖へ登り、湖を半周してピークの栃窪山(標高421m)から三沢峠へ下り、折り返して峯の薬師奥の院から峯の薬師、表参道を下って三井大橋へ出ました
 最上段左が金刀比羅神社、右が城山湖、第2段左が奥の院近くの紅葉です。奥の院のいい写真が撮れないので、これで代用します。同右と第3段左が峯の薬師広場の紅葉、同右は表参道下からの津久井湖(因みに城山湖と津久井湖は揚水発電のセットの人口湖です)、最下段左右は三井大橋で左が進行方向城山方面、右が振り返る栃窪山、峯の薬師方向です

   
   
   
   

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