渋沢丘陵南・峠集落の旧鉱山跡

 通い慣れたる渋沢丘陵ハイキングコース(秦野白笹稲荷から震生湖・渋沢紅葉(リンク)渋沢駅から八国見山・頭高山」(リンク)参照)ですが、その南側の谷、峠という集落に昔の鉱山の跡があるとネットで知りました。渋沢駅から峠隧道経由峠停留所行きのバスの終点の峠地区ですが、バスは使わないので、同丘陵の最高峰八国見山を越えて探訪します。渋沢駅南口から左へワンブロック、交番のある交差点を右折してバス道を道なりに真っ直ぐ南下、渋沢中学校入口バス停のところを左へ登って案内板に従って震生湖から頭高山への稜線を目指して登り、毎度お馴染みの八国見山入口に出ます(駅から小1時間)

     
   
   

 ここまではお馴染みです。いつもはここから引き返して元の震生湖からくる渋沢丘陵の道へ戻るのですが、今日はここから近年暫く造成中で通行できなかった南方向へ下ります。下5段の写真、最上段パノラマが遠くに相模湾が見える南方向の眺望で、右手前の広大な造成地は環境破壊として長年揉めた末、最近完成した湘南森林霊園、第2段左がNTT鉄塔のある広場、右の様な百段以上もの急階段を下り霊園の北東隅に出ます。西側尾根越しに伊豆箱根方面(第3段左)、富士山(同右)を眺めながら、そろそろと下り、場周道路から振り返るのが第4段左右、最下段が霊園敷地南側から八国見山方面、先程のNTT鉄塔が遠くに見えます

 
   
   
   
     

 途中に出入口がないので、北東隅から北西隅まで広大な敷地を4分の3周して、西側出口の舗装道路を道なりに下って峠集落に出ます。市見川という小川に突き当ったらそれに沿うように南下し、舗装が尽きると下6枚上段左の山道となり、同右の様に進んで、中段左右の流れを徒渉し(増水時は無理だそうです)、対岸の崩れかかった細道で慎重に高巻きすると下段の坑口、これも旧鉱山の坑口の様ですが、ここには案内がありません

   
   
   

 ここで満足しないでさらに高巻きを続けると、ありました!(下3段)、崩れ落ちそうな崖の上を慎重に近づき写真を撮ります。中段右に案内板の文章をテキストで入れておきます。川へ下りれば見上げる写真が撮れるのでしょうが、崖が危険なので、諦めました。先程の徒渉地点から沢下りしてもいいのかもしれませんが、それなりの足廻りが必要です

   
                 峠の鉱山跡

峠の鉱山は太平洋戦争前後の昭和10年から10数年間石膏の採掘を中心に操業し、最盛期には約20人の方、農作業のない時期には地元の人たちも働きに出て、年20トンもの石膏を産出していました。

産出した石膏は、人形用セメントの材料、歯科医の歯型などに使われていました。また、産出する石膏の周りには粘土層があり、西秦野小学校の図工の時間にこの粘土を使ったこともあったようです。

坑道の入口は主に市見川の右岸にあり、坑口の周りには、事務所や採掘の際に岩盤や石膏脈を崩壊するために使用したダイナマイトの貯蔵庫もありました。坑道は、斜坑、水平坑・竪坑があり、深さ約70mもあった竪坑では搬出にウィンチを利用していました。

採掘した石膏は、坑内からトロッコと牛車で真静院の前にあった貯蔵場まで運び、そこからトラックで御殿場線の松田駅まで運搬しました。

時期ははっきりしていませんが、産出される石膏が少なくなり採算がとれなくなったことや、台風で市見川の水が坑道に溢れ出て、復旧が困難になったことなどが原因で昭和20年代半ばには閉山したといわれています

秦野市教育委員会

   

 滅多に行かれない探検をしました。帰路は渋沢駅から峠隧道を潜り峠集落を通る県道706号経由でご存じ富士見塚経由で松田へ出ました、下の写真左が途中の篠窪大橋、右が富士見塚手前の見事なモクレンです

   

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